憧れたモノの正体


『ひとつ、拳清は人なり』
幼い頃必死で習った、空手。
正式には柔術空手拳法。
ただひたすら強くなりたくてジャッキーチェンのテレビを見ては
真似てみて、習った空手と組み合わせ昇華させた僕の体術は
今や何の役にも立ちません。
当時、必死で習った『五つの型』は、ようするに突き・払い・蹴りの基礎なわけで
それをあたかも五獣拳の型とでも云うように指導する師範も強者であった。
さらに、ですこ氏が上級者であったこともここで告白します。


ボクシングに目覚め、先ずは形からと、もみじ台小の飼育小屋に入り
にわとりを捕まえていたのは俺である事をさらに告白しておきます。
高2の夏でした。
足掛け4年程の経験で、たしかにチャンピオンとかになったわけではないが
相手がレスラーでもない限り人を倒すのは実際は容易な事を知る。
絡まれ易いから護身術を覚えたかったわけでもない。
強くなったから何ってわけでもい。
何かを守る力がほしかったんろう。
けど−
何を犠牲にしても守るべきもの―
とは
強い心が不可欠で。
そこに身体的な強さは必要か?と考えると今は微妙なもんである。
僕は臆病だけど。
さして強くもないけど
今ならHEROにはなれる。ただ独りの。