バイト日和


中一から新聞少年ヒロ吉です。
配達中に関するいろんなネタもあります。
今までいろいろバイトをしました。
手っ取り早く稼ぐにはやはり休日の肉体労働で
初めて経験したのは少3でした。
と云っても近所の農家の手伝いで大量の『樽』
を洗わされた。日当は500円だった。


中2の夏
体も力もついてきた頃友人よっちの父に
なかば無理矢理解体現場に連れて行かれた。
行きたくはないが断る事ができるわけないのは
もみじ台にいた方なら大体察しはつくだろう。
『ちょっと手伝えや』
で呼び出され、よっち・よっち父・俺の3人は
朝8時から解体現場に着き、それから
昼の休憩を挟み17時までびっちり働いた。
正直
『なんでこんな事させられてんだ?』
と思ったが、よっちに聞いても
『わからねぇ』と云う。
疲れ果てて帰り際、よっちの父は
『ほら、こずかいだ』
と云って千円くれたが、今思えばあの時は
絶対3人分の日当をよっちの父は懐に入れてたはずだ。
なんて話だ。


高校に入り、校内で
『東洋行くべ』
が流行り語になってた。
何の事はない
『東洋梱包と云う会社で日曜に働きに行く』
って事で、連絡して朝7時ぐらいにそこの会社に行けば
各々が行き先を言い渡され8時〜17時まで
肉体労働をするのだ。
行き先はさまざまで、引越や工場・倉庫で、
運が良いと午前中で終わったりする。
それでも日当は同じなのだ。たしか五千円だった。
当時ではかなりありがたい金額だ。
東洋で一番記憶にあるのは社長が朝、皆に行き先を
告げるのだが多いときは10人以上待機してるから
行き先が決まらないと待たされたりする。
そんな時、社長の奥さまはおにぎりをくれた。
でも社長はそれが気に入らないらしく
影でいつも奥さんを怒ってた。
自分以外の男の為に握ってほしくはなかったのかな?
そんな中、日当壱万弐千円のバイトもあった。
夕方7時から朝7時までの12時間労働。
日本通運の倉庫である。
ここでは、ベルトコンベアに乗って流れる大量の
荷物の中から自分担当の荷札がついたものを探して
自分の担当場所に卸し、そのうち来るトラックに積み込む
と云った仕事だ。
荷物は様々で、軽い箱だったり時にはタイヤもあった。
それらに付いてるシールに書いてある番号(9―3とか)
を見分け自分の担当する番号だったらコンベアから卸し
自分の占有スペースに積んでいくのだ。
正直かなりハードだった。さぼろうにも監視カメラ着き。
ここで俺は、段ボールを積み上げカメラの死角を作り
そこに隠れては巧くさぼっていたが見廻りのおっさんに
敢えなく発見された。
3週間目(三回目)の夜
22時頃僕らは脱走した。
作業を装い、コンベアに乗りそのまま出口に直行。
肉体疲労に加えて、排気ガスの臭いが酷かった。


その後の肉体労働は高校卒業後、ですこと大工をやった。
4ケ月ぐらいかなぁ。
たまにその時工事に携わった家の横を通るが当時を思い出す。
今では考えれないほどの怠惰な働きっぷり。
あ、でも仕事に出たら真面目なんだな。
通勤途中でバックレ。途中で親方に会ってるにもかかわらず。
とか
携帯がない頃だから出来たんだな。
それでも、最低限
『使えない奴だな』
というレッテルは貼られないできたつもりだ。
サボリはしても。
今まで。今もしかり。


で、今、目の前にいるコンビニのバイト君
僕が頼んだ【チキンカツサンドの暖め】中
暖め終わって取り出す時、どうやら暖めすぎたらしく
『あちっ!』
と言って落とした。
そしてそれを袋に入れ俺に渡すそぶり。
隣にいる同年代のバイトちゃんも見てるだけ。
『いらないわ』
そう言って俺は店を出た。
この場合、言うべき事を言おうとすると怒り口調になるし
きっと云っても無駄なのがわかりすぎたから。


食べ損なった悔しさとか嫌悪感とかいろいろの中で
昔のバイトを思い出していた。