中学与太郎行進曲


BE-BOPと湘南爆走族がバイブルだった。ヒロ吉です。
友人よっちはそれに『Let'sダチ公』が加わります。彼は明正堂で全巻
揃えてました。もちろん無料で♪
そんな漫画の影響を受けてか、生粋の道産子の彼は時々関西弁のような
言葉を発していました。
ある学習塾の近辺で僕らはタムロしていた。もちろん頭はちょっと逝ってる状態で。
MA-1の袖口を口元にアテガイその袋に入った液体による精神錯乱作用がたまらない
快感をもたらすのを成長期に知ってしまった。
よっちは『雰囲気でラリる』術を会得していた。今思うと彼は己の健康に配慮して
いたのか?否、帰宅後に待ち受けている父への恐れだったのか?
学習塾では同級生の輩が真面目に勉強している。
レースのカーテン越しにそれらが見え、僕らは彼らにひと時の安堵を与えようと
必死に面白い事をしようと試みるがそれが出来なかった。
後になって彼らに聞くと『目が逝ってるから笑えなかった』らしい。
度々そんな事をしているとさすがに講師も気づく。
窓を開けこう言う
『お〜い。君たちね、皆夜になってもこうやって頑張ってるんだ
邪魔しないであげて』
もっともな事だしさらに講師は怒らずに諭すように言った。
でもよっちには火がついた
『別に邪魔してねぇよ。ここにいるだけじゃい』
『そうかそうか、じゃあもう少し向こうで遊んでくれるかい?』
この先生は立派だと思えた。
でもよっちは負けてなかった
『あぁぁ?なんでお前の言う事きかんきゃならないんじゃい?』
関西弁(?)っぽいのが出てきた(笑)
『え〜とね。君が立っているそこ。そこ私の土地だからさ。権利はあるんだよ』
この不良に正論で諭したのが拙かった
『何おぉぉぅ?お前の土地?なんじゃ?お前はここの王様かい!?』
王様て・・・・
このあとよっちを引きずり学習塾をあとにしたのは言うまでもない。
そんな役者志望だった彼は時々【犬が寄ってきた幻覚を見る】演技を
起用に演じてくれた。
学校が終わるとよっち宅で飲むのが習慣だった時期があった。
僕らの商店ホ○ノースーパー西店で両袖に仕入れたBEER(1?缶)を皆で
飲むのだ。途中茶の間に行った彼はすぐに戻ってきて一気に泥酔していた。
『いやぁぁ茶の間で一気したらぁ〜もう缶空いちゃったろぉぉ』
でもちゃんとBEERをシンクに流していたのを僕らは知っている。
なら盗るなよ。素直にそう思った。
そんなお茶目な彼でも他校には【○戸恐るべし】の噂は流れており
大体の少年は彼の名前と容姿とその関西弁に萎縮し彼のミッキーローク張りの
パンチに倒れていったのだった。(あの場合倒れた物勝ちなんだ)
でも僕は彼が髪をオキシドールで脱色していた事も知っているしその前髪
は親父に切られ(前髪だけ)それは不思議な髪型だったのを知っている。
そんな彼でも根性と愛国(校)心は強かった。
彼の名前と容姿に怯まず、当校を喰おうと云う輩に対しても負けずに立ち向かう
のだ。そしてその相手を連れ出しいざ尋常に勝負!!となると
『頼むぞ!!』と僕やゆーいに告げるのであった。
俺らはお前の兵隊か・・・ボディーガードか。
そして彼は戦闘後に完全に白旗を揚げている敵兵に向かって
『も○中舐めんなや!!』と蹴りを入れるのだった。(話し方はもちろん関西風)
ある時はサン○ードのゲーセンで敵兵の襲撃に合い、2対3の局面ですら
彼は一切手を出さなかった。彼は僕に訓練を強いていたんだと解釈した。
そうして彼は番格(笑)としての地位を着々と固めていったのだ。
そんな彼でも愛くるしいとこはあって、その最中に濡れた手を
『ほれ』と言ってですこに塗りつけたのは有名な話だ。なんたる屈辱。
嗚呼よきかな青春時代♪
ちなみによっちは今愛知に渡り名古屋弁の勉強をしているらしい。
ゆーいよ。今度彼が帰って来たらぜひ僕も呼んでくれ。
と、ですこ氏のBlogに影響を受けて書いた日記。