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レスキューの日に合わせたんだっけ?詳しくしらないけどお悔やみ
申し上げます。
ところで弦長だの弧長だのから半径求めろだのって云われても専用の計算機
でパパッと出してたもんをいきなり手で計算しろっても無理なもんです。
でも便利な世の中でちょいとネットで調べると計算式があるんですな。
【L/2 = R sin (C/2R)】
だれかレスキューを呼んで下さい。


昨今では二日酔いで頭が痛いとか包丁で指を切ったとか、救急車にタンカで乗せ
られて忘れ物したって走って家に戻る人とかが救急車を呼ぶそうです。
そんな訳で実際に(?)緊急の方を迎えに(?)行けないような被害(?)
が多くなってきてるので有料にするような話が出てます。
付き添いで救急車の中に入った事がありますが、なんとなく助けてもらえる感
がある場所でした。狭いけど。
羅臼の現場事故で運ばれた時は、山間部であったため、レスキューの方自体が現場
までくるのに四苦八苦し『ここじゃタンカで運ぶのは無理だ』と泣きをいれ
クローラダンプ(トラックのキャタピラ版みたいの)の荷台に乗せられ救急車
まで運ばれました。その時はまるで安心感はなかったな。
すぐに栃木から社長も飛んできたのですが、社長の俺に対する事故を起こした事
による怒りよりも、髪を金と銀にしていた事への怒りをどう対処するかに悩んだ記憶
がある。
思えばその入院の際にONEPIECEに目覚めたんだっけ。
マルオ君は【僕らの小間使い】を任命されそのために羅臼に常駐した。
毎日雑誌とフライドチキンを買いにいってもらったものだ。ありがとう。
でも一番の事件(?)は坂本さんという(体重100kg)のおっちゃん(でもないか)
が背骨の突起やら肋骨やらを骨折し病院のベッドに寝たきり状態だったのだが
起き上がれないとダダを捏ねるわ、TVのチャンネルも自分で変えれないと云い
俺やら他の人に頼むしまつ。(リモコンがないのね)
【甘えてないで自分でやれ!!】と怒鳴りつけるも痛みで起き上がれないと
喚きちらす。
そして同室だった僕が退院し坂本さんが一人になった。
その日の午後。一人で寂しいだろうと皆で坂本さんのお見舞いに行った。
ドアからこっそり覗いたら、坂本さんは立ち上がってTVのチャンネルを変えていた。
午前まで動けないとダダを捏ねてたくせに。
あの頃一緒に出張にいってたメンバーは今どこで何をしてるのかなぁ。
入れ替わりでだいたい20名ぐらいの作業員が来たけど、皆しっかり覚えてる。
その中でも半数は特に長い付き合いだった。ホントいろんな奴がいた。
地上数十mでの作業。助け合いが必須だったから皆の関係もよかった。
そういえば、そろそろ車の事故でなくなった彼の7回忌だったような。
スズメ蜂に追われ木に頭を強打し脳震盪を起こしてたっけ。ご冥福を・・・


ちなみに昨日のタイトルの意味が解らない方のために