hero-Children2005-11-18

最近、町田市の16歳高校生の少女が同じ高校の
同級生にメッタ刺しにされ殺されると言う事件が
ありました。
しかも二人は小・中・高と同じ学校の幼馴染だった
そうです。
この少年は奇声を発するなどの奇行が目立っていた
と言いますが原因として父を病気で失った。
と判断されているようです。
それが殺人に繋がるのは安易な解釈ですが。


殺生与奪
こんな権利は誰にもありません。
しいて言えば死刑囚に死刑執行を下すのがあてはまる
かもしれませんが、これは私、異議がありますし、
友人ですこがその件について詳細に日記で紹介してます
ので興味のある方はそちらへどうぞ↓↓↓↓
http://d.hatena.ne.jp/nudedisco/20051101
ですこ勝手に引用ごめんよ(^^;


過去の事件を振り返れば子が親を殺し爆弾で吹っ飛ばす
子が親を毒に犯す。病に苦しむ親を殺す。
意味はわからないが、一家皆殺しにする父親。
身内を絡めるいろんな事件があります。


命を奪う事は誰にも許されることではありませんが
僕は、例えば僕が相当にどうしようもない人間として
育ち・現在まで生きてきて親の判断で
『この子は生かしてはいけない』
と思われたなら殺されても良いと思っています。
しかし、これでは親が罰せられます。
よって『あんたは生きていたら人様に迷惑だから』
と言われ諭され自害する道を選ぶでしょうが。
この場合の与奪は僕の中で唯一アリです。
(まぁ、そんな親いないだろうし、そこまでのことをする
前に監獄に居たり普通の生活はしていないでしょう。)
これは特殊な考えでしょうけどね(^_^A


親から与えられた命と良くいいます。でも僕は
『与えられた』と言うのはどうも違う気がします。
『授かった』のも違うなぁ。
神から授かったと言う話になると僕はちょっとついては
いけなくなってしまいますが・・・
だから少し捻じ曲げて考えてみて、例えば与えられたもの
であれば奪う権利があるのかも知れません。が、やっぱり
与えられたものでなければたとえ親でも奪う権利はないん
だと思います。
もちろん命はモノではないですから。
ですから、僕が唯一『アリ』と思える事もそう考えると
やはり殺生与奪の権利は誰にもないのだと思います。


自ら奪う場合・・・
老人夫婦が、嫁の看病に疲れ夫婦で火葬場の焼却炉に入り
自殺をしたと言う話も最近ありました。
子もいなく身寄りもまい二人は、誰にも迷惑をかけまいと
共に自らの命を絶ったのです。
悲しい話ですが僕はすごく良く理解できます。
だからと言って、やっぱり自ら命を絶っていいわけも
ありません。


ですが、友人ですこが書いたように・・
(また、無断引用すいません)
『むかし、日本でも
断食自殺はありました。
母と娘二人の計三人が市営住宅内で衰弱死していたのです。
死体の周りには沢山の食べ物がありましたが、
一切、手はつけられていませんでした。この一家が
とてつもない
貧乏だった事からも、この死に方は世間へのメッセージだと
思えます。
圧倒的な絶望の前で強固な意志を表明する、
もはや宗教です。
最も有名な断食自殺は、山口判事餓死事件でしょう。
戦後、ヤミ米が横行する中「判事たるものヤミ米を食して
どうして人を裁けようか」と、頑なに食を拒み続けついに
餓死を“成し遂げた”のです。
なんたる判事根性だろうか。
こういう人こそ生きるべきなのに死んでしまうというのは、
いつの世も同じか。こういった死が活かされないのも…。
死へ対して強固な意志を持っている人を諭す事は如何に
難しいか、諭す権利すらないのかも知れません。
どうやら自殺するまで生きるより選択肢はないようです。』

こういった話を聞くと、このような事(自殺)については、
僕の中では全面的に否定はできない部分もやっぱりあります。
『命』
生きる意味も感じない
でも死にたくも無い
そう感じていても
やっぱり、命を軽視してはいけない。
自分の命も、他人の命も・・・・・・・・
それがわからない、感じない人間が育ち蔓延しているこの社会
ってこれから一体どうなっていくんだろうなぁ。
そういった社会や自分の未来に絶望し、もしくは杞憂
してしまい自ら命を絶つ人がせめて身近で現れない事を
願います。。。
UP写真は何となく関連する映画です。